昨日、友人とSDGsについて話す機会があった。
その友人はSDGsには否定的で、「SDGsを重んじるのは、あくまでステークホルダーに向けたPRでしかないだろう。」と言っていた。
SDGsを実践することで、不都合が生じるのであれば、すべきではない、と。
私は「ステークホルダー」なんていう企業的視点を持ち合わせていなかったこともあって、その場で自分の意見を言っても淘汰されるかな、と思って何も言えなかったが、家に帰っても、もやもやしていて、一晩明けた今日ももやもやしている。だから、ここでちょっと自分の意見を書きたい。
私は、どちらかというと環境に配慮した暮らしをしたいタイプで、サステナブルに弱い。
だから、プラスチック削減にも同意してるし、紙ストローが提供されても文句なく受け入れている。
ただ、紙ストローは飲みにくいからプラスチックの方がいい、という世間の声もあるみたいだ。
しかし、今の生活が地球1個分の暮らしを実現できていないから、環境に配慮できていない過剰もしくは不要な供給をやめようという動きがSDGsの1つなのではないか。
紙ストローになったことによる不便は、私たちがこの先も地球で生きていくために被らなければならない不便なのではないかと思うのである。
生活水準を上げるのは簡単だが、下げるのはとても難しいという。
SDGsは私たちにとって、耳障りのいい話ばかりではないからこそ、実現が難しいのであって、そこを理解して話を進めなければ、破滅の方向へ向かっていくのではないか。
一人一人の行動は地球全体で見たらミクロの世界のものだけど、数が増えると、無視できない動きになる。
何にせよ草の根運動から始まる。
と、昨日、私は友人に伝えたかったのだけど、やっぱり意見を人に伝えるって怖い。
批判されるかもしれない、間違っていたらどうしよう、と不安が取り巻く。
その友人は、比較的寛容だとわかっていても言えなかったから、私って勇気がないな〜と少し反省。
だからこそ、声をあげて行動している人のことを、尊敬するし、簡単に批判して引き摺り落とすのは、ずるい。
勇気ってどこから湧いてくるんだろう。勇気がなければ、人生何も楽しくない。