毎日のふんばり日記

不器用な筆者ですが、考えて、書いて、を繰り返して、日々を記録しています。ブログタイトルを押すと最新記事に飛ぶので、記事一覧は★記事一覧はこちらからどうぞ。

「ごめんで済むなら警察いらんねん」を考えた人はクリエイティブなのか

今日、人に「ごめん」と言われてふと思ったのが、

「ごめんって言うなら最初からするなよ」ということ。

しかもその人はごめんって言った後に、また同じことをしてきて、またごめんって言ってきた。

真に謝罪の気持ちがないことが汲み取れる。

そう考えると「ごめん」と言っておけばどうにかなると考えている人は多いのかもしれない。

 

実際に、心がこもってなくても「ごめん」と言われたことで、こっちの気持ちが落ち着くこともある。様々な条件にもよるが、ごめんは無力ではない。

しかし、謝罪の気持ちがなく、価値のない「ごめん」を発している人に会うと、「ごめんて言うなら最初からするな!」と思ってしまう。

まあ自分も他人に無理を言うことはあるから、やむをえない事情もあるとは思うけど、少しくらいこっちの気持ちも考えてくれないか、と思う。そこのところ上手くやれている人は世渡り上手なのだろう。

 

さて、私の身近なそんな人にモヤモヤとした感情を抱いていたところ、怖いおっちゃんとおばちゃんしか使わなそうなあのセリフを思い出した。

それが「ごめんで済むなら警察いらんねん!」なのだけど、これって実は逆転の発想をしているのではなかろうか。

「ごめん」は謝罪の言葉として広く使われており、「ごめん」ということでまあよしとしようという風潮にメスを入れる言葉だろう。ごめんと言えばどうにかなると思っている人の頭に衝撃を与える言葉だ。

 

しかし、実際に「ごめんで済むなら警察いらない」は、感情の昂りによって使われる言葉らしく、ピクシブ百科事典によると

実際は全てがそんな大げさなものではなく、むしろ感情的に警察を引き合いにすることで、相手の冷静な判断を失わせて自分が優位に立ちたい意図がある。その裏には何かしらの譲歩や利益を相手に求めている可能性が高い。

そもそもがこの言葉を発した時点で発言主(加害者側)の(自分が迷惑や危害を加えた被害者からの)許しを得るための「ごめん」が警察の介入を拒むための「ごめん」にすり替わっているのである。

とのことである。

なんと、あの言葉は、ごめんを軽んじている人への怒りではなく、自分が上に立ちたいという欲に溺れた言葉だった。確かに怖いおっちゃん・おばちゃんしか口にしないというイメージからも想像ができる。私が違った解釈をしていたのだ。

ただ、言葉の発想自体は感心する。

 

最近、人間関係でイライラすることがたくさんあって、ストレスを感じるけど、自分を壁に止まったハエだと思ってやり過ごそう。「キレたら負け」と思いながら日々生きている。イライラさせてくる人を利用して高尚な人間になろう。